パーマ液でかぶれてしまった!

前回の通っていたとおすすめの美容室のスタッフがやめてしまったので、知らない美容室に行ってみまいした。前回の通っていた美容室ではスタッフさんと仲が良くいろいろなお話ができてほんとうによっかたですが、通えなくなってとても残念です。

美容院でパーマをかけてもらうことにした。若い女性の美容師だった。

最初に、シュシュっと髪にかける液体が、右側の首筋にだらっと流れて来たので「これって水ですか?」と聞くと、水ではないという。

首筋が気持ち悪いので、「タオルで拭きたい」と告げると、暖かいおしぼりをくれた。

ロットを巻き終わってから、タオルを当ててパーマ液をかけたのだが、額に液体が滲んで来て気持ち悪くなった。

我慢しながら座っていたら、男性の美容師がやって来て「タオルが緩んでいます」と言って、ほどこうとした瞬間に、タオルが手から離れて、そのまま顔にすべり落ちた。

つまり、べったりと顔にパーマ液がついてしまった。

しばらくすると、左側のこめかみの辺りが痒くなってきた。お湯で濡らしたタオルで拭いたけれど、一向に痒みが治まらない。

「ごしごし洗った方がいいですかね?」と聞くと、その方が良いというので、シャンプー台のお湯を流して何度もこすって洗い流した。

その美容師は誘導尋問のように、「今日は体調が悪いですか?」「きのう顔剃りをしませんでしたか?」と聞くので、「あの男性が手を滑らせたので、顔に液がついてしまったのよ!」と怒って店を出た。

それから1時間ぐらい買物をして、ふと鏡を見ると、赤くはれていたので、美容室に戻った。

「こんな風になってしまった!」と怒ると、店員は、「病院に行ったほうがいい」と言った。

あいにく店長が休みなので、自分達だけでは何も判断ができないのだという。

とりあえず、店が常備している薬をくれた。それから、お詫びということで、トリートメントを1本くれた。

私は、「こんな風になるなら、途中で帰ればよかったわ。明日になっても治らなかったら電話しますから、今日のことは、ちゃんと店長に伝えておいてね!」と言って帰った。

パーマ液でかぶれるなんてことが、やっぱりあるのだ…。ひと月もすれば治るのだろうか、治らなかったらファンデーションで隠せばいいのかな、そんなことを考えながら、また買物を続けた。

『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』は漫画も好きだ

映画『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』は日常の生活はよく描かれているように思う。
すーちゃんとまいちゃんは仕事に対する不安や不満があり、さわ子さんは自分が出て行った後の、祖母を一人で面倒見なければならなくなる母の身を案じている。
大きな事件は起きないのだが、他人から見ればちょっとしたことを掬い取って、こういうのあるよなあと思わせる手法が上手い。3人のそれぞれの不満をただ並べるだけでは時間も足りないだろうし、事実の羅列だけになってしまいがちだが、ここでは彼女たちの心の声も取り入れてコンパクトに上手くまとめている。
そして、やはり独身女性だけに男性とのやり取りも絡めている。
すーちゃんは勤めているレストランのマネージャー(井浦新)に仄かな恋心を抱いている。
まいちゃんには不倫関係の男性がいる。その彼が娘がおたふくだからと帰っていった後に、鏡に向かってプーッとふくれっ面をする表情は可愛かった。この彼女が私生活では、男っぽい性格で子供までいるというのが信じられない。
さわ子さんは、偶然出会った同級生とつきあうことになるが、彼から子供を産める証明書を貰ってきてくれと言われ想いが冷めていってしまう。
それぞれの恋は、それぞれの道筋を辿っていずれも破れていってしまうが、3人が等身大の女性を演じることによって、まるで隣のおねえちゃんを応援したくなるようになってしまうから不思議だ。
それでも、しがらみが無く、こうやってずっとつきあえる仲間がいるということは恵まれているのだと思う。定期的に会って、そこで他愛も無い話から愚痴まで何でも話せるから、少しはストレス解消になっているのだろう。
勿論ストレスは恋愛だけではない。
例を挙げれば、すーちゃんがレストランのアルバイト店員候補者を面接したときの、スーツ姿の男性(水橋研二)とのやり取り。
真面目に応募してきたのかと思いきや、その男性は家族がいる為早く正社員に上がることを望み、あまっさえまいちゃんや仕事をバカにした態度に出る。まいちゃんは「こんな面接、時間の無駄だ」と言うその男を、「私の時間が無駄でした」と追い返してしまう。イライラが募るよなあ。
それを見ていたオーナー(木野花)は、「店長としての自覚を持て」と厳しくすーちゃんをたしなめるが、その裏には嬉しさがあるような感じがして、ここにも人間の両親は息づいているんだなあと感動してしまった。その後、娘(吉倉あおい)のサークル活動の場所に連れて行って、問わず語りみたいなことを言っていたのが何よりの証拠。
隣にどんな人が住んでいるかわからなくなったと言われて久しい都会ではあるが、それでもこういう人間の繋がりが見えるのが嬉しい。
すーちゃんとまいちゃんが失恋したとわかった後での鍋のシーンで、まいちゃんが「サラダ出そうか」というのはどういうものかと思ってしまった。それ以上に、その後に「煮物もあるね」は、まいちゃんの不倫相手の彼氏に対する動揺と受け取られるが、サラダの時点ではそうは思えなかった。それも、物語の妙なのかな。
最後に、まいちゃんが“捨て去った人生”という言い方をしていたが、そういう風に考えるものなのかねえ。これまで総合職の営業ウーマンとして第一線で働いてきた彼女が、子供の為に家庭に(一時とはいえ)収まるということに、まだ実感が沸かないのは、何となくわかるような気がする。

遺体~明日への十日間

『遺体~明日への十日間』の映画は震災当時、釜石市の遺体安置所を題材とした石井光太のルポルタージュ「遺体 -震災、津波の果てに-」を基にしている。メディアでは殆ど伝えられなかったらしいが、震災当日は情報が混乱していたようだし、津波の被害は宮城県の方が大きかったし、震災翌日からは東電原発の水素爆発で報道の中心がそちらに移ってしまったから仕方ない面もあるのかもしれない。
映画は相葉の行動が中心とはなっているが、それぞれに活動する医師・下泉(佐藤浩市)や、正木(柳葉敏郎)、正木の助手の大下(酒井若菜)、葬儀社社長・土門(緒形直人)、そして市長(佐野史郎)をはじめとした市役所員の松田(沢村一樹)、平賀(筒井道隆)、及川(勝地涼)、照井(志田未来)の面々の活動を、群像劇風に描いている。
主要キャストには東北出身者もいるが、西田敏行は福島弁だし柳場敏郎は秋田弁がやはり抜けていない。東京出身の佐藤浩市の、不完全ながらも南部弁を話そうとしている姿勢の方に頭が下がった。文節によっては、まんま南部弁だったし。
ここでは、多くを語るまい。
恐らく当時の釜石の状況は、この映画のようであったのだろうし、ここは黙って観てもらいたいと思う。
映画としてはどうなのだろう。
監督は、脚本があるにも拘わらず、「自分の気持ちにうそをついて演技をするのはやめてください」と俳優たちの気持ちを最優先させて撮影を進めたらしい。
それが、安置所に入るとき靴を脱ぐ西田の行動だったり、志田未来は子どもの遺体を見た瞬間にくるりと背を向け、住職を演じた國村隼は読経の途中で声を詰まらせたりする。つくづく俳優になるには、感受性が豊かじゃないと務まらないと思う。
普段だったら鬱陶しく思われる相葉のお節介とも思える態度だが、ここでは逆にそれが上手く作用しているようだ。
彼が縦軸となり、右も左も、そして明日をもしれない地道な活動を続けていく人々が描かれるが、彼らは決して歴史の表舞台に立つことは無い。こういう無名の人々に支えられて復興も進んでいくし、極言すれば歴史も作られていくのだということを痛切に感じられる。

『ストロベリーナイト』

映画ストロベリーナイト、この作品が、姫川玲子シリーズの最終章だそうで、そうは言われてもドラマを見ていない俺にとってはそれほどの感慨も沸かない作品。あとは、映画が面白いかそうでないかだけ。で、冒頭で姫川のモノローグが流れる。
「17のとき、私は一度死んで生き返った。血と恨みを抱いて」とか。
意味がわからない。多分ドラマで説明されていたんだろうが、それを引きずるんだから嫌だよ。
ここで散々書いているけど、映画化するんなら、映画の中だけで完結してくれってこと。
それが一番わからなかったのが、玲子が牧田に一連の核心部分を聞きに行く場面。
牧田が、多分調べたんだろうけど、自分と同じ血が流れているということをわかり、それで二人がFUCKすること。
確かに、心理学的な分野では、ありえない設定で鼓動が激しくなるときは、疑似恋愛的な心理が働くことは昔から言われている。
しかし、それだけでは全然わからないのだ。
しかも、危いと言われていた中村獅童との間に子供を作ってしまった竹内結子である。
ああ、やっぱりな、という気分が無かった訳ではない。
やっぱり一番の欠点は、警察の汚職というか汚点に原因を求めている点だ。
その方が重厚感を与えられるであろうし、展開としても書きやすいだろう。
でも、その安易さが鼻につくんだよな。わかってしまう。
そして、結局は三浦友和が、一番カッコいいところをさらっていってしまう。
それはいいんだけど、そこまでの展開が長過ぎで、ぐだぐだしてしまっている。
“インビジブルレイン”なんて気取った副題がついているけど、ずっと雨の中での場面の連続で、観ている方としても、多少はうざったく感じてしまった。
アリバイ工作や、動機について、もっと掘り下げた作品は作れないものかねえ。
これじゃあ、表面的なことしかわからず、こんな作品で渋い、とか言う奴が出てきかねん。
表層をなぞっているだけの映画だよなあというのが感想です。

やる気のスイッチ

GN055_350A (2)私は、不思議なことに毎日、やる気のスイッチが違っています。あるときは、朝起きた瞬間から、あれもしたい、これもしたいと思って、必死で家事をこなすことができます。そんなときもあると思えば、あるときは、全く動きたくないと思って、家事を全くしないときもあるのです。

そのため、そのやる気のスイッチはどんなことから押すことができるのかと思ってみました。まず、体調が良いことがベストと思っています。体調が悪いときは、体を動かすことができないのです。

例えば、肩が凝っているとか、歯がいたくなっているとかなると、動くことによって、余計にその症状がひどくなると思うので、動くことを控えるようになります。

また、おきた瞬間に、雨が降っているときも、やる気のスイッチが少なくなってしまいます。雨になると、掃除をしようと思っても、スッキリとすることができないので、なんだか中途ハンパになってしまうと思って、掃除をする気持ちにならないのです。

渾身 KON-SHIN

原作の川上健一は青森県出身。青森出身者が島根、それも隠岐の島を舞台とする小説を書くのも面白い。そして隠岐の島といったら、田中美佐子の出身地じゃないか。昔は好きだったんだよなあ。
隠岐の島の古典相撲を扱ったということが珍しかったのか、この映画は結構マスコミでも取り上げられて、NHKの「おはよう日本」でも放映されていた。かつて島を捨てた男が、再び舞い戻ってきて、古典相撲を通じて島のみんなに溶け込もうとするプロット自体は、それ程目新しいものではない。
それと、この映画で初めて知ったのが、劇団EXILEという存在。舞台活動が中心のようだから地方にいると、興味が無い限りわからんもんな。歌も踊りもしないということでは、ジャニーズの生田斗真みたいなもんか。主演の青柳翔がそうらしい。初めて見る顔だ。
英明が結婚式をドタキャンしたのはわかったが、その理由が父親(高橋長英)との会話の中で、どうやらその父親が決めた結婚話に反発したもので、それにより恋人(中村麻美)と一緒に島を出て行ったものらしいが、逃げたままじゃ嫌だという理由で島に帰ってくる。
このとき、母親として顔を出していた女優を、どこかで見たことあると思って眺めていたが、エンドクレジットで真行寺君枝とわかった。すっかり、おばさんになってしまったな。
しかし戻ってはきたものの、島ではそこそこの地位にあるらしい父親の決めた結婚式を蹴ったということで、島のみんなはどこか余所余所しい。家が立派らしいことかrしても、多分父親は島ではかなりの影響力を持っている人物と思われる。その父親に勘当に近い扱いを受けているのだから、島民が余所余所しくなるのはわかる。
でも、それが、英明が相撲に打ち込むことによって人々の感情が融解してくるという過程がわからなかったのと、田舎でそんなに簡単に融和できるのかなあという疑問が湧き出て、それを結局最後まで引きずってしまった。撮影上でのミスも面白かった。
隆大介の座り位置が、紹介のときのショットと次の場面で変わったとか、水入り後に、万竜の右上手がかかっていたとか(前にはかかっていなかったのに)。
これはご愛嬌として流してあげよう。

『LOOPER/ルーパー』という映画を見て

未来の依頼者と契約して、送られてきたターゲットを撃ち殺す役目で、当然今の世界でも違法者である。しかし、世間一般に認知されているにも拘わらず、今の時代で取り締まられている様子は無い。報酬は銀の延棒。劇中、「ループを閉じる」という表現があった。30年後の未来から、30年後のルーパー自身を送り付けて殺させ、そのループを断ち切ろうとするもの。
着眼点は面白いと思った。未来の自分を現在の自分が殺すという設定の下で、その未来の人間が逃げ出したらどうなるんだろうというもの。
ところがブルース・ウィリスが出てきた途端、その劇は、大衆演劇になってしまう。このキャラクターの強さには負けてしまうね。
名作に多く出演しながらも、アカデミー賞では晩年に名誉賞しか与えられなかったケイリー・グラントを思い出してしまう。(ま、彼は、ノミネートだけはされているが)
さて、そうなる運命はわかっていながらも現在の自分のルーパーの仕事を成し遂げようとするジョーだったが、未来で悪の組織を吸収しながら勢力を拡大しているレインメーカーという人物がループを閉じ続けている張本人で、それを未来の自分が、現代で抹殺しようとやって来たことを知ると迷いが生じてしまう。
同時に、レインメーカーの正体を探ろうとしたジョーだが、それはループの仕事を果たさなかったということで、現在の組織から狙われる中でのものだった。
レインメーカーの正体は、観客にはすぐわかってしまう。ジョーが組織から逃げる途中で紛れ込んだ女性(エミリー・ブラント)の息子シド(ピアース・ガノン)だということ。そんでもって、突拍子もないのが、このシドが超能力者だということ。というか、ルーパーは、コインを空中に浮かせるくらいの能力は持っているのだが、彼の力はそれとは比較にもならない。
そのシドを、もうちょっとというところまで追い詰める未来のジョーだったが、悲しみのループを断ち切る為にはと、現在のジョーは自らを銃で打ち抜くことを選択する。
でも、自分を殺すことで、自分を巡る悲劇の繰り返しは避けられるだろうけど、未来に於いては犯罪王としてのレインメーカーが出現しないだけて、それぞれの犯罪組織は残り、つまりはルーパーもそのまま存続するんじゃないか?結局、何も変わらないということになると思うんだがなあ。
子供のシドを殺すのが一番すっきりすると思うんだが、そういう展開にしたらレイティングはつくだろうし、第一業界や世論が黙っていないんだろうな。『エクソシスト』にしても『オーメン』にしても、悪役は子供でありながら、その子供は劇中では死んでいないもんな。
そういう意味でも、中途半端に終わってしまったような気がする。

ローン・サバイバー

ローン・サバイバーという映画はネイビーシールズ創設以来最大の惨事といわれている“レッドウィング作戦”を映画化したもので、その目的はタリバンの指導者の暗殺。
降下目的地に到着後、標的に近づき、そして銃撃戦に至るまでが映画の大部分を占めるが、その間の緊迫感を持続させるテクニックはさすが。
4人がそろそろと狙撃地点を探して前進する場面、偶然近づいてきた羊飼いたちが接近してくる緊迫感、派手な銃撃戦、敵の攻撃から逃げる為に二度、三度と崖から落ちるリアリティ。
アクションものとしては、かなりイイ線いってる。
しかし、その精神構造は、インディアン(今は差別用語だが)を一律に悪者とした西部劇と何ら変わらない。
確かに暴力で訴えるタリバンは悪としていいのだけれど、彼らがそうなったのには十字軍の昔からの西側による干渉の歴史がある。
イスラム原理主義というのがどういった過程で生まれたのはわからないが、例えばイラクに武器供与等の援助を行っていたものが、大国のエゴにより、ある時点から敵であるイランへの援助に切り替えるといったことが、遠くない過去にあった。
自国は常に善であり、それに従わないものは悪であるという、単純で傲慢な論理が彼らの反発を招いていることは間違いない。
それを棚に上げて、自分らの家族のことだけを取り上げたり、「お前が俺を命がけで守ってくれるから、俺もお前を命がけで守る」と言わせたり、兎に角美談で終わらそうという精神が気に食わない。
ただ、僅かに救いはある。
羊飼いに見つかったとき、民間人は殺してはならないという国際法に則って行動したこと。(これにより彼らはタリバン兵を招くことになるのだが)
また、イスラム=悪だと刷り込まれてきたマーカスが、同じアフガニスタンの人間に助けられ、そうではなく、タリバンに抵抗する同国人がいることに気がつくラスト。彼らにしても、絶対タリバンに攻撃されるのがわかっているにも関わらず、抵抗する勇気には感服。ここにも「お前が俺を命がけで守ってくれるから、俺もお前を命がけで守る」というのと同じ精神が見て取れる。
危険にさらされた人が逃げ場所を求めて逃げてきた場合は、たとえそれが敵であっても保護しなければならないという2000年にも及ぶパシュトゥーンの掟によりマーカスは保護されたのだが、これってイスラム教より歴史が古いよね。
間違いなく、能天気に「カッコイイ」とか「しびれた」とか言って済ますような映画ではない。

『桃(タオ)さんのしあわせ』という映画を見て

HX191_350A監督のアン・ホイという名前は初めて聞くが、これが女性だとは思わなかった。
そう考えると、ああ、あそこの場面は女性らしかったなと思えるところも少なくない。
例えば、老人ホームで桃さんにいつも300ドル(多分香港ドル)を無心して、それで風俗通いをしているキンさん(チョン・プイ)を許してしまうところ。働き盛りの男からすれば、ロジャーが憤るようになんだこいつと思うのが普通なのに、桃さんはそれをあっさりと許す。女性の視点に加えて、年齢の視点もあるのだろうが。
ロジャーは、恐らく40代の独身男。
予告篇でも流されていたが、彼女が作る料理を彼女の方を見もせずに受け取って食事するロジャー。ここで彼にとっての彼女が、生まれた頃からいるということで、彼女がロジャーにとって空気みたいな存在だということを端的に表している。
それが桃さんの脳卒中でガラッと変わる。
といっても、最初のうちのロジャーの対応は、義務感から来るものだった。
家政婦を辞めて老人ホームに入りたいと言う桃さんに、「お金は出すよ」とロジャーが返したのも、自身に金銭的な余裕があることと、アメリカに移住している母親や家族が長年世話になり、桃さんを世話出来るのは身近にいる自分だけだという思いだけだったろう。
それが変わるのは、ロジャーに付き添われ、久し振りに桃さんが彼の部屋へ戻って、二人で思い出の品を眺めているとき。
ロジャーは、ふと、この人の人生って一体どんなものだったのだろう、結婚もせずにずっと一人で一族の世話ばかりで過ぎ去った時間というものは、この人にとってどんな価値があったのだろうという顔をする。これは観客にとっても、ここで彼女の人生とはという思いを共有する場面となっており、そのあたりの演出は上手いと思う。
その答えははっきりとは示されないが、その後は、本当の親子と思えるような繊細でお互いを思いやる二人のやり取りが続く。
しかし、そんなしんみりした場面ばかりではない。笑いも随所に含められている。
特に桃さんが入ったばかりの老人ホームでの食事の場面。おかずをこぼしながら食べる老人をしかる元校長(正月で一時帰宅するとき、息子は頭が上がらない様子だった)。また入れ歯が無いと騒ぎ、他の人が間違えたと言って持ってきた入れ歯をコップで洗って口にはめる老人。
ロジャーと桃さんのやり取りにも笑いはある。桃さんがロジャーをたしなめる言葉を、そのまま桃さんに返して笑い合う場面も多くあった。
原題は「桃姐」。桃さんの最晩期を描いた物語で、病気に悩まされはしたが、恐らく彼女にとって人生の中で一番穏やかで幸せな日々だったのだろう。家族のいない彼女にとって、ロジャーはまるで本当の息子のように接し、それにも嬉しさを覚えているショットがいくつもあった。
老人ホームに入った当初、名前について「家政婦みたい」と言われたことに対して噛み付いた彼女だったが、そんな気の強さも後半は表面に出ることは無くなっていた。

映画『天のしずく 辰巳芳子“いのちのスープ”』を見て

映画『天のしずく 辰巳芳子“いのちのスープ”』を見た。辰巳芳子という名前は聞いたことがあるような気がする。 料理研究家。何で料理研究家ってのは女性が多いんだろう?現場の料理長(シェフ)や板前ってのは男性が多いのに。それはやはり、研究が家庭料理を対象としているからなのだろうな。 共働きの家庭も当たり前になってきていて、男女雇用機会均等法なんかも制定されてかなり経つが、未だに料理(家事)は女という意識が残っているからだろうな。斯く言う俺も、その意識に甘えているところもあるが。 冒頭の映像は、ビーカーで何やら円形の物体を煮沸している場面。その丸い物体にはところどころに黒い点が認められたので、最初は蜂の子や蛆虫といった昆虫かと思った。結構グロい映像だなあと思っていたが勿論そんなことはなく、その後で玄米を炒っている場面も出てくる。つまり玄米スープを作っていたのだ。玄米は身体にいいと、まるで河村通夫みたいなことを言う。 玄米スープは飲んだことは無いが(多分)、何となく旨いんだろうなあということは想像できる。 それは別として、ドキュメンタリーは2011年4月から始まる。つまり大震災の一ヶ月後だ。そこで彼女は、震災を受けての食の大切さについて講義する。 そこで面白い発見があった。“地獄炊き”という言葉。 「今の人は、この言葉を知らないんですねえ」と彼女が言う通り、俺もその言葉は知らなかった。 ちなみに観終わった後でその言葉をyahooで検索したら、「五島うどんの地獄炊き」というバナーがずらり。しかし彼女の言う地獄炊きとは、水から炊き始めるか、」お湯から炊き始めるかの違い。その炊き方がどういう料理に合っているのか、それによって水加減がどう変わるのかの説明は、料理番組ではなかったから無かったけれど。 もう一つ、面白いことがあった。 彼女は、梅干のおにぎりが理屈に合わないと言う。 腐食を防止する作用があると言われる梅干のおにぎりだが、腐食は表面から始まるのであって、それを防止する梅干が中にあるのは矛盾だとのこと。腐食を防止するのであれば、梅干をペースト状にして、外側から握るのでなければ理屈に合わないと。 言われてみればそうなのかなあと思う。新しい発見で面白かった。

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