食欲を抑える柑橘系の香り

SN033_L柑橘系の香りってダイエット効果があるって聞いたことがありますか。特にグレープフルーツが良いそうで、グレープフルーツのアロマオイルはダイエットに効くという話がありますね。私は、レモンやメリッサと呼ばれる柑橘系に似た香りのアロマオイルを持っています。掃除した後にスッキリ感を味わいたくて、レモンのアロマオイルを香らせたりするのですが、確かにこのレモンのアロマオイルを嗅いでいるときは、あまり食欲が湧かないというか、食べ物のことを忘れていることが多いんですよね。以前、柑橘系のアロマオイルを嗅いでから食事会に行ったら、食欲湧かなくて全然楽しめなかったという話も聞いたことがあります。頭もスッキリするし、読書などするのにも最適なんですよ。食欲が自然に抑えられるなら、女性にはこんな嬉しいことはないですよね。ただ一つ注意点があって、柑橘系のレモンなどのアロマオイルは、嗅いだり香らせた後に太陽にあたるとシミの原因になると聞いたことがあります。使う時間や、使い方に注意が必要です。でも気になる方は、嬉しい効果を是非試してみてください。

占い師の忠告

以前とある星占いをしていただいたときに私は自分なりに、女性に関する悩み(何もないのが悩みのようなものでしたが)を話したところ、結構厳しい答えが返ってきました。それはとあること(それはあまりにもプライベートなことなので)原因で手に届かない女性を追い求めたがるということを言われてしまいました。確かにそう考えてみると、好きになったらいけない人ほど惚れてしまうことが過去に何度かあったような気もします。それでいて別段深刻なトラブルを起こしたこともなかったので本当かどうか自分でもわかりませんが、少しはそういった傾向があるかもとは思いました。

 そしてドラマの昼顔ではないですが、自分は誰か思っている人がいるのだろうか?自問してみるとその時に現れる人はやはりいます。もう何年も会ってなく、まさに彼女は手の届かない人でもあり、逆に一番しっくりくる人でもありましたが、今の現実(もう何年も会うことのない)を考えてみれば、結局のところ占い師の言ったとおりなのでしょう。

『みなさん、さようなら』

中村義洋&濱田岳のタッグ5作目『みなさん、さようなら』。よほど中村義洋は濱田岳のことが気に入っているのだろう。確かに彼の癖の無さは、業界でも高い評価を得ているらしい。
濱田岳が13歳から30歳を演じることで話題にはなっているけど、同じく波瑠やいじめられっこの同級生薗田をやった永山絢斗も13歳から大人までを演じているんだよね。
物語は悟が、これから一生この団地で生きていくという決心をするところから始まる。
高度成長期に建てられた団地には、肉屋も魚屋も悟の好きなケーキ屋だってある。しかし彼の決心は、生活基盤を団地から移さないというどころか、団地から一歩も外に出ないことまでの固いものだった。
そして中学校にも行かず、とうとう一日も出席しないまま卒業してしまう。(日本の義務教育制度だからできることだし、学校側にとっても厄介払いができたぐらいにしか思っていないんだろう。しかし、それはここでのテーマではない)
悟の姿を見ながら、この映画は自閉症を比喩している作品なのかなと思っていたら、徐々に彼がそう決心した理由がわかってくる。もう映画も後半に差し掛かってからだが、小学校の卒業式の前日、彼の目の前で同級生が侵入者に刺されて殺され、彼自身も殺されかけたことだった。
つまり彼はPTSDに罹ってしまったのだ。
それまでは彼の一風変わった生活が描かれる。
起床後の乾布摩擦から始まって、読書、団地内で身体を鍛え、そして夜は同級生の部屋の見廻りと。大山倍達に憧れ、団地を守る為に空手の自主トレーニングも始める。隣に住む松下とはときどきベランダ越しに会話をし、彼女によって性にも目覚めていく。そんな彼を、母は優しく見守っている。
16歳になって、彼は好きだったケーキ屋に頼み込んで雇ってもらう。
ケーキ屋に勤めながら、夜警は欠かさない日々。
小学校の同窓会も、団地の集会所で開いてもらい、そこで再会した早紀(倉科カナ)とも恋人同士になって順調に進むかと思われたが、やはり団地から一歩も出ないというのは通常の感覚から言っておかしい。わかっているから悟は、早紀に泣きながら頼まれた団地の外にあるカラオケボックスに行こうとするが、団地の階段を降りきれず倒れてしまう。
結局早紀は彼の元を去っていってしまい、またケーキ屋の主人(ベンガル)も痴呆の気が出てきたことを苦にして、店の権利を悟に譲って姿をくらましてしまう。
その間にも、小学校の同級生が団地から転出していく。数字で示される減少人数は、観ていても悲しいものがあった。当時は最先端の団地でも、年数を経るごとに老朽化していき、ゴーストタウン化していく様は、現代のシャッター街を想起させる。
その後ブラジル人家族を巡る騒動があり、母親が突然亡くなってしまう不幸に見舞われる。
知らせを受けた悟は、何も考えずにただひたすら母親の勤めている病院へ向かうため、怖かった団地の階段を駆け下りていく。
PTSDが治るのには、こんな風に上手くいく場合は非常に少ないだろうことはわかるが、それでも一種の寓話として楽しめるかもしれない。病気でないにしても、人間の自立というものを考えさせる作りにはなっている気がする。

声をかくす人という映画を見て

リンカーン暗殺に当たって、女性の死刑囚がいて、それがアメリカ史上初の女性死刑囚だったということも、この映画によって初めて知った。それと、リンカーン暗殺はそれだけではなくて、副大統領と国務長官の同時暗殺も企てられていたことも初めて知った。
この国家のトップ3が災難に遭ったことによって、陸軍長官であるスタントン(ケヴィン・クライン)が事態収集の為のトップになる。
このケヴィン・クラインが、最近のコメディ、もっと言えば下らない役柄とはガラッと変わった、冷徹な政治家を好演している。なかなか良い。
フレデリックは北軍に従軍していたこともあり、やはり南部の人間に対する差別というか嫌悪意識は強烈に持っている。だから上司的なジョンソン上院議員(トム・ウィルキンソン)から「弁護士として為すべきことを為せ」と説得されても、半分は義務感のみで受け入れるだけ。彼の婚約者のサラ(アレクシス・ブレデル)も同様で、南部の女の弁護をすることになったフレデリックに違和感を覚えながらも、彼を理解しようと、周りの雑音を遮って彼について行こうとするが、それでも最後は理解できないと言って彼の許を去っていってしまう。
このアレクシス・ブレデルという女優、清楚な感じがして、RRが好きそうな出で立ちの人ね。
それにしても、このメアリー・サラットという女性の罪は、今の感覚からしたら死刑になるような重罪ではないのね。
最大の罪は、暗殺組織のアジトを提供したというものだが、「生活の為に」と言う彼女の言い分を、はっきり言い負かしている反論は無い。しかも彼女の罪は(認められていればだが)、現代に当てはめてみれば死刑になる程のものではない。
総ては“国を一つにまとめる”と言うスタントン陸軍長官の思いのままに運ばれた裁判だという流れになっている。
当時のことは想像するしかないが、未だ南北戦争は完全に集結しておらず、“北”の人間にとっては彼らの方程式の中で国をまとめなければならないという空気があったのだと思う。
しかしそれは、彼らの方程式が正義であって、それ以外は受け入れないという態度でもある。
つまり、白か黒かという狭い範囲での選択肢しか示されず、中間のグレーゾーンは一切認めないものだった。
これを歴史だと言うのはたやすい。しかし、最近の日本の政治的な動きにどこか似ている。
議論を白か黒かに特化させて、それしか選択肢が無いように思わせて、決断を迫るというどこかの人がいたよね。ちょっとでも外れていることを言えば、それが反証のための言葉であっても、揚げ足をとってそこばかりを集中して批判する方法。そして悲しいことに、愚民はそれに乗せられてその人を支持するようになる。言葉がたりないが、その景色は(経験はしていないが)ナチスが台頭してきた時代に似ているような気がして、非常に恐ろしい。今はかつてほどの露出度はなくなってきたが、一頃の彼を祭り上げるような報道は怖かったし、今でも彼を報道しない日は無いのではないか。それでも、主張が二転三転する彼を、悪し様に報道する姿勢は見られない。
フレデリックは、友人が言うように「有罪になればお前のせいだし、無罪になれば裏切り者だ」という状況の中で、しかし次第に法の精神に従った行動をするようになる。それが、容疑者達の裁判が軍法裁判で行われ、しかも政治的にシナリオができている中での裁判は困窮を極める。
当時でも民間人を軍法裁判にかけるということに対してはかなり批判があったらしい。
フレデリックはその時の最高権力者のスタントンに、民間裁判への移行を訴えるが、そのスタントンは「(有罪になるのは母でも息子でも)私はどちらでも構わんよ」と言い放つ 彼なりの正義で、国を一刻も早くまとめようとしたのだろうが、フレデリックが言うように(彼の言葉は現代人の共通の認識でもあるだろうが)、法に則らない世界が如何に危ういかを理解できていない。スタート地点が間違っていれば、いずれは破綻が訪れることを。
物語自体も法廷劇の面白さと、人間の哀しさを描いていて、面白く観ることができた。
アメリカ映画ではあるが、今の日本にとって警鐘とのなる作品であるような気がする。

『映画 鈴木先生』

JS103_72A『映画 鈴木先生』を見て、映画は映画として独立させて欲しいなあ。
『映画 鈴木先生』の冒頭、鈴木は妄想しながら通勤しているが(この妄想は彼の持病らしい)、先生が生徒と一緒に登校するなんてあり得るか?
ドラマでは性問題をはじめとして、それなりにタブーだった題材を取り上げてきたようだったが、ここではどうか。
相変わらず(なのだろう)、鈴木の小川に対する妄想は続くが、それは主題とは関係の無い所で進むし、鈴木はデキ婚だったらしいがそれは全然問題にされていない。てか、鈴木の奥さんの名前が“あさみ”ってのは、狙ったものとしか思えない。どうでもいいことだけどね。
てか、この土屋太鳳って、ここではだいぶミステリアスな雰囲気を出しているが、素顔を見るとやはり今時のというか、この年代特有の無邪気さが覗いている。調べてみたら『釣りキチ三平』で、三平の幼馴染をやっていたんだね。4年も経ちゃ、そりゃあ成長するよね。
で、ここで問題になるのが卒業生。
というか、無理矢理問題をここに持ってきているような気がする。
いつも公演でボーっと文化祭の練習する生徒を、どう見ても引きこもりな男(浜野謙太)と、それを無理矢理外に引きずり出している、引きこもりよりはちょっとはましな男(風間俊介)がずっと眺めている。
この、ちょっとはましな男が事件を起こすのだが、それは小川に対して「これからあなたをレイプします」という監禁事件。
その理由は、自分は中学時代は“できる生徒”として遇されていたが、その挙句が社会からの落ちこぼれ。「いい子なんて、競争社会では淘汰されていくだけなんだよ」ということらしい。だから、世の中を見せる為にレイプされることによって、落ちる所まで落ちて現実を知ってこれから力強く生きていってほしいということらしい。
ちょっと、論理の飛躍。
前半で、中学時代、問題児だった白井(窪田正孝)が訪ねてきて、「(鈴木は)優等生しか相手にしてこなかったから、誰も訪ねてくるやつなんかいないだろ」と言われる場面があったが、それは一面的な物の見方というべきだが、あたかもそれが正論のように聞こえてしまう。
この偏狭な男を演じたのが、どこかで見たことあるなあと思っていたら、今の朝の連ドラに出ている人間じゃないか。
鈴木は彼を説得しようと試みるが、それは表面的な綺麗事の域を出ていない。
大体、彼が“落ちた”のは教育だけのせいではないし、それを一中学校教師が解決できる問題でもない。それを物語的になあなあで済ましてしまおうなんて意図が透けて見えるから、恐ろしく底の浅い物語になってしまっている。小学生向けのドラマでやったらいいんだ、こんなもん。
この男が小林を連れて屋上まで行ったときに、隙を見て足子(富田靖子)が飛び込んだのに、他の男性教師はどうしてたんだという場面もあった。
ただ納得できるところもあって、それは立会演説会で出水(北村匠海)が主張していたこと。
選挙は投票した方も責任を持たなければならないというのは、これはまさに正論だね。
今の大人、特に先の衆院選挙を特別な理由も無しに棄権した人間に聴かせてやりたい。

『ダイ・ハード ラスト・デイ』

『ダイ・ハード ラスト・デイ』の物語は、ロシア(旧ソ連)の大物2人の確執にジョンが巻き込まれたもの。
息子のジャックがロシアで収監されたと聞いたジョンは、どういうことか確認しにモスクワへ飛ぶ。そこではユーリ・コマロフ(セバスチャン・コッホ)の裁判が話題になっていた。彼を有罪にして権力の掌握を狙っていたビクター・チャガーリン(セルゲイ・コルスニコフ)という大臣の差し金によるもので、ただしコマロフはチャガーリンにとって命取りとなるようなファイルを持っているらしく、同時にチャガーリンは手下を使ってファイルの行方を捜索している。
ジャックはCIA要員としてコマロフの身柄をアメリカへ移動させようとする作戦に従事していたのだが、ジョンは息子がCIAに入っていることすら知らなかった。
そこで、ジョンはジャックの手助けをしていくというもの。
どうもね~、巻き込まれ型としてはどうなのかねえ。「運の悪さは遺伝する」というのがこの映画のキャッチコピーだが、今回はとってつけたようなもの。
色々な伏線はあるにしても、こういう大枠ですれ違いがあるってのは、やはり最後まで納得して観ていることができない。
でも、こういう能天気なアクションえいがに、それを求めるってのも無理な話かもしれない。

パーマ液でかぶれてしまった!

前回の通っていたとおすすめの美容室のスタッフがやめてしまったので、知らない美容室に行ってみまいした。前回の通っていた美容室ではスタッフさんと仲が良くいろいろなお話ができてほんとうによっかたですが、通えなくなってとても残念です。

美容院でパーマをかけてもらうことにした。若い女性の美容師だった。

最初に、シュシュっと髪にかける液体が、右側の首筋にだらっと流れて来たので「これって水ですか?」と聞くと、水ではないという。

首筋が気持ち悪いので、「タオルで拭きたい」と告げると、暖かいおしぼりをくれた。

ロットを巻き終わってから、タオルを当ててパーマ液をかけたのだが、額に液体が滲んで来て気持ち悪くなった。

我慢しながら座っていたら、男性の美容師がやって来て「タオルが緩んでいます」と言って、ほどこうとした瞬間に、タオルが手から離れて、そのまま顔にすべり落ちた。

つまり、べったりと顔にパーマ液がついてしまった。

しばらくすると、左側のこめかみの辺りが痒くなってきた。お湯で濡らしたタオルで拭いたけれど、一向に痒みが治まらない。

「ごしごし洗った方がいいですかね?」と聞くと、その方が良いというので、シャンプー台のお湯を流して何度もこすって洗い流した。

その美容師は誘導尋問のように、「今日は体調が悪いですか?」「きのう顔剃りをしませんでしたか?」と聞くので、「あの男性が手を滑らせたので、顔に液がついてしまったのよ!」と怒って店を出た。

それから1時間ぐらい買物をして、ふと鏡を見ると、赤くはれていたので、美容室に戻った。

「こんな風になってしまった!」と怒ると、店員は、「病院に行ったほうがいい」と言った。

あいにく店長が休みなので、自分達だけでは何も判断ができないのだという。

とりあえず、店が常備している薬をくれた。それから、お詫びということで、トリートメントを1本くれた。

私は、「こんな風になるなら、途中で帰ればよかったわ。明日になっても治らなかったら電話しますから、今日のことは、ちゃんと店長に伝えておいてね!」と言って帰った。

パーマ液でかぶれるなんてことが、やっぱりあるのだ…。ひと月もすれば治るのだろうか、治らなかったらファンデーションで隠せばいいのかな、そんなことを考えながら、また買物を続けた。

『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』は漫画も好きだ

映画『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』は日常の生活はよく描かれているように思う。
すーちゃんとまいちゃんは仕事に対する不安や不満があり、さわ子さんは自分が出て行った後の、祖母を一人で面倒見なければならなくなる母の身を案じている。
大きな事件は起きないのだが、他人から見ればちょっとしたことを掬い取って、こういうのあるよなあと思わせる手法が上手い。3人のそれぞれの不満をただ並べるだけでは時間も足りないだろうし、事実の羅列だけになってしまいがちだが、ここでは彼女たちの心の声も取り入れてコンパクトに上手くまとめている。
そして、やはり独身女性だけに男性とのやり取りも絡めている。
すーちゃんは勤めているレストランのマネージャー(井浦新)に仄かな恋心を抱いている。
まいちゃんには不倫関係の男性がいる。その彼が娘がおたふくだからと帰っていった後に、鏡に向かってプーッとふくれっ面をする表情は可愛かった。この彼女が私生活では、男っぽい性格で子供までいるというのが信じられない。
さわ子さんは、偶然出会った同級生とつきあうことになるが、彼から子供を産める証明書を貰ってきてくれと言われ想いが冷めていってしまう。
それぞれの恋は、それぞれの道筋を辿っていずれも破れていってしまうが、3人が等身大の女性を演じることによって、まるで隣のおねえちゃんを応援したくなるようになってしまうから不思議だ。
それでも、しがらみが無く、こうやってずっとつきあえる仲間がいるということは恵まれているのだと思う。定期的に会って、そこで他愛も無い話から愚痴まで何でも話せるから、少しはストレス解消になっているのだろう。
勿論ストレスは恋愛だけではない。
例を挙げれば、すーちゃんがレストランのアルバイト店員候補者を面接したときの、スーツ姿の男性(水橋研二)とのやり取り。
真面目に応募してきたのかと思いきや、その男性は家族がいる為早く正社員に上がることを望み、あまっさえまいちゃんや仕事をバカにした態度に出る。まいちゃんは「こんな面接、時間の無駄だ」と言うその男を、「私の時間が無駄でした」と追い返してしまう。イライラが募るよなあ。
それを見ていたオーナー(木野花)は、「店長としての自覚を持て」と厳しくすーちゃんをたしなめるが、その裏には嬉しさがあるような感じがして、ここにも人間の両親は息づいているんだなあと感動してしまった。その後、娘(吉倉あおい)のサークル活動の場所に連れて行って、問わず語りみたいなことを言っていたのが何よりの証拠。
隣にどんな人が住んでいるかわからなくなったと言われて久しい都会ではあるが、それでもこういう人間の繋がりが見えるのが嬉しい。
すーちゃんとまいちゃんが失恋したとわかった後での鍋のシーンで、まいちゃんが「サラダ出そうか」というのはどういうものかと思ってしまった。それ以上に、その後に「煮物もあるね」は、まいちゃんの不倫相手の彼氏に対する動揺と受け取られるが、サラダの時点ではそうは思えなかった。それも、物語の妙なのかな。
最後に、まいちゃんが“捨て去った人生”という言い方をしていたが、そういう風に考えるものなのかねえ。これまで総合職の営業ウーマンとして第一線で働いてきた彼女が、子供の為に家庭に(一時とはいえ)収まるということに、まだ実感が沸かないのは、何となくわかるような気がする。

遺体~明日への十日間

『遺体~明日への十日間』の映画は震災当時、釜石市の遺体安置所を題材とした石井光太のルポルタージュ「遺体 -震災、津波の果てに-」を基にしている。メディアでは殆ど伝えられなかったらしいが、震災当日は情報が混乱していたようだし、津波の被害は宮城県の方が大きかったし、震災翌日からは東電原発の水素爆発で報道の中心がそちらに移ってしまったから仕方ない面もあるのかもしれない。
映画は相葉の行動が中心とはなっているが、それぞれに活動する医師・下泉(佐藤浩市)や、正木(柳葉敏郎)、正木の助手の大下(酒井若菜)、葬儀社社長・土門(緒形直人)、そして市長(佐野史郎)をはじめとした市役所員の松田(沢村一樹)、平賀(筒井道隆)、及川(勝地涼)、照井(志田未来)の面々の活動を、群像劇風に描いている。
主要キャストには東北出身者もいるが、西田敏行は福島弁だし柳場敏郎は秋田弁がやはり抜けていない。東京出身の佐藤浩市の、不完全ながらも南部弁を話そうとしている姿勢の方に頭が下がった。文節によっては、まんま南部弁だったし。
ここでは、多くを語るまい。
恐らく当時の釜石の状況は、この映画のようであったのだろうし、ここは黙って観てもらいたいと思う。
映画としてはどうなのだろう。
監督は、脚本があるにも拘わらず、「自分の気持ちにうそをついて演技をするのはやめてください」と俳優たちの気持ちを最優先させて撮影を進めたらしい。
それが、安置所に入るとき靴を脱ぐ西田の行動だったり、志田未来は子どもの遺体を見た瞬間にくるりと背を向け、住職を演じた國村隼は読経の途中で声を詰まらせたりする。つくづく俳優になるには、感受性が豊かじゃないと務まらないと思う。
普段だったら鬱陶しく思われる相葉のお節介とも思える態度だが、ここでは逆にそれが上手く作用しているようだ。
彼が縦軸となり、右も左も、そして明日をもしれない地道な活動を続けていく人々が描かれるが、彼らは決して歴史の表舞台に立つことは無い。こういう無名の人々に支えられて復興も進んでいくし、極言すれば歴史も作られていくのだということを痛切に感じられる。

『ストロベリーナイト』

映画ストロベリーナイト、この作品が、姫川玲子シリーズの最終章だそうで、そうは言われてもドラマを見ていない俺にとってはそれほどの感慨も沸かない作品。あとは、映画が面白いかそうでないかだけ。で、冒頭で姫川のモノローグが流れる。
「17のとき、私は一度死んで生き返った。血と恨みを抱いて」とか。
意味がわからない。多分ドラマで説明されていたんだろうが、それを引きずるんだから嫌だよ。
ここで散々書いているけど、映画化するんなら、映画の中だけで完結してくれってこと。
それが一番わからなかったのが、玲子が牧田に一連の核心部分を聞きに行く場面。
牧田が、多分調べたんだろうけど、自分と同じ血が流れているということをわかり、それで二人がFUCKすること。
確かに、心理学的な分野では、ありえない設定で鼓動が激しくなるときは、疑似恋愛的な心理が働くことは昔から言われている。
しかし、それだけでは全然わからないのだ。
しかも、危いと言われていた中村獅童との間に子供を作ってしまった竹内結子である。
ああ、やっぱりな、という気分が無かった訳ではない。
やっぱり一番の欠点は、警察の汚職というか汚点に原因を求めている点だ。
その方が重厚感を与えられるであろうし、展開としても書きやすいだろう。
でも、その安易さが鼻につくんだよな。わかってしまう。
そして、結局は三浦友和が、一番カッコいいところをさらっていってしまう。
それはいいんだけど、そこまでの展開が長過ぎで、ぐだぐだしてしまっている。
“インビジブルレイン”なんて気取った副題がついているけど、ずっと雨の中での場面の連続で、観ている方としても、多少はうざったく感じてしまった。
アリバイ工作や、動機について、もっと掘り下げた作品は作れないものかねえ。
これじゃあ、表面的なことしかわからず、こんな作品で渋い、とか言う奴が出てきかねん。
表層をなぞっているだけの映画だよなあというのが感想です。